性同一性障害特例法では、第3条第1項4号と5号に下記規定があり、これが性別の取扱いの変更を行うために性別適合手術が必要となることを示しています。
四 生殖腺せんがないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
先日のエントリーで島根県議が不適切発言をしたとして謝罪を求めた件を記事にしましたが、世界的に性別変更の要件から手術を外す動きが見られます。
日本でも岡山県の臼井さんが性別適合手術を受けないまま戸籍上の性別変更を求める裁判を行っており、高裁までは敗訴して現在最高裁で争っている状態となっていますね。
高裁支部も性別変更申し立て棄却 新庄の臼井さん即時抗告審
山陽新聞2018年2月18日
http://www.sanyonews.jp/article/668105
それでは特例法を改正して、この手術要件を外すべきなのでしょうか?
私はそう単純な話では無いと考えています。その理由を下記に書いておきます。
1.性同一性障害の当事者のうち、中核群の当事者にとって手術要件は障壁とはならない。
性同一性障害の当事者のうち、特に中核群と呼ばれる人たちの多くは身体に対する強い違和感があり、手術を必要としています。従って手術要件があったとしても、それ自体は大きな障壁とはなりません。
2.権利を侵害されることになる側(特に女性)への配慮が必要
手術を必要としないとなると、男性器を持った女性、女性器をもった男性が存在することになります。
世の中にはトイレ、更衣室、浴場、病室、矯正施設など男女別の施設がいくつもありますが、これらの施設が男女別になっていることには意味があります。特に、性的被害を受ける可能性が高い女性にとっては「安心・安全な環境を提供する」という意味合いがあります。
しかし、手術を必要とせずに戸籍の性別変更ができるとなると、男性器をもった人、しかも場合によっては女性を妊娠させる能力を持った人がこうした女性専用の施設に入場してくることになります。
世の中に女装した人の痴漢行為や盗撮などの性犯罪が多く存在する昨今、これで本当に女性の安心・安全な環境を提供することができるのでしょうか。
もちろん、そうした犯罪を犯す人が悪いのであって、それによって無関係の人にまで累が及ぶのはおかしい。という考えもあるでしょう。今年のGID学会でも高岡法科大学(当時)の谷口先生がそのような発言をされていました。
しかし、犯罪をおかす人が悪いだけという論法であれば「女性専用車両」というものは必要ないわけです。痴漢は、それを行った人だけが悪いのであって、他の男性は無関係です。でも女性専用車両が必要となった背景には、そうでないと女性の安心・安全な空間を確保できないと判断されたからです。
結局の所、このような発言ができるのは、女性がどれだけ小さいときから性的関心を受けたり怖い思いをしてきたか、ということに男性の研究者は思いが至らないからではないかと思います。
それに、触ったり盗撮したりという明らかな犯罪まではいかなくても、じろじろ見られたり、場合によって股間を膨らまされたりしたらどうでしょうか。考えただけでもぞっとします。
やはり、これは男女別施設によって安心・安全な環境を提供されるという権利を侵害していると考えられます。となれば、当事者側の権利の主張だけで物事を通すことはできません。
それでは、入れ墨のように施設によって未手術の人を排除するということは可能なのでしょうか。
これも無理と言わざる得ません。特例法では、第4条第1項に「法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす。」とあります。従って性器の有無だけで法的に性別が変わった者を排除することに合理性は見いだしにくく「差別」にあたることになるからです。数年前に静岡で、性別の取扱いを変更した人がゴルフ場への入会を拒否された事件では、差別にあたるとしてゴルフ場側が敗訴しています。
それでは「法律で別段の定めを作れば良い」という話になるでしょうか。例えば「未手術の人は特定の施設の利用を制限できる」とか。これもどうでしょう。これではある意味「あなたは完全な女性(または男性)ではない」と言われているようなものです。二等性別のように扱われることに当事者が良しとするとは思えません。
3.男性に戸籍変更後に出産、女性に戸籍変更後に認知が発生する可能性。
生殖器をそのまま持っている訳ですから、当然男性に性別変更した人が出産したり女性に性別変更した人が妊娠させたりすることがありえます。つまり男性が母、女性が父ということがありうるということです。
実際、海外の事例で男性に性別変更した人が出産したということがニュースになっています。
別に男性が母になってもいいじゃないかという議論は確かにあるでしょう。が、こうなってくると男とは何か、女とは何かという定義というか哲学や宗教の扱う範囲になってしまいそうです。
現状の法律や行政の体制はもちろんそれを前提としておらず、いろいろな制度で手直しが必要になりそうです。
しかし、それよりも問題なのは「家族観」でしょうか。保守系の政治家には、家族観にうるさい人が結構大きな勢力として存在しています。夫婦の選択的別姓が実現しないのも、代理母出産が実現しないのも極端に言えばこの人たちが反対しているからです。「日本の美しい伝統的家族が破壊される。」というのが理由のようなのですが、いったいいつからの伝統よと思ってしまいます。特例法の「現に子がいないこと。」要件にしても「子どもの人権に配慮して」というよりはこうした人たちの家族観に反するというのが大きな要因と言えます。
加えて、これに法務省が荷担しています。法務省の人たちは「世界に冠たる戸籍制度を守る」ということに執念を持っているようで、戸籍に変な記載が入り込むことを極端に嫌います。FTMの方にAIDで産まれた子を嫡出子とするかどうかの件でも頑なに抵抗したことでもそれがわかります。
実は特例法成立の背景には、こうした保守系政治家に対して「家族観を壊すものではない」という説得がありました。全会一致にできたのは、その成果もあったと思っています。
そうした家族観に男性が母、女性が父となる要素は、全く受け入れられないでしょう。まだまだ残されている諸問題に政治の力を借りなくてはいけない現状では、こうした方々を敵に回したくはありません。
4.要件の再検討が必要
現行の特例法から手術要件が無くなると、20歳(成人年齢が変更になれば18歳)以上、婚姻していないこと、現に未成年の子がいないこと、性同一性障害の診断を受けていることの4つが要件として残ることになります、果たしてこれでいいのかを考えなければなりません。
世界にはアルゼンチンのように、医師の診断書も必要なく申請だけで性別変更ができる国もありますが、日本もそこまで行くのでしょうか。
私は、不十分と私は考えます。というのはこのままだとホルモン療法も全くやっていない、身体の状態は完全に男性のまま、女性のままという人も対象になるからです。性同一性障害であるという確定診断は、身体の治療を始まる前に出るからです。先に書いた2の件を考えると、さすがに身体の状態が全く元のままというのは厳しいと言わざる得ませんし、社会適合できているとは言えません。髭もじゃの人が女性として扱われるなんて、受け入れるられないでしょう。
とはいえ「性自認の性別でパスしていること」のような基準は、客観性があまりに無いため設けることは無理です。イギリスの Gender Recognition Act 2004(性別承認法)では Been living permanently in their preferred gender role for at least 2 years(少なくとも2年間は望みの性別で日常生活を送ること)というようにRLE重視の発想をしています。しかし、これもどうやって、誰が検証するのかという問題がでてきます。
基本的に法律は裁判官に判断を丸投げするような形ではダメで、明確に判断できる基準を設けなければなりません。そのためには客観的な誰でもが評価できるような判断材料が必要となります。
それでは精神科医が判断するということではどうでしょう?いや、これだと精神科医が完全に門番になってしまい、現在のガイドラインで唄われている当事者にサポ−ティブに接するということと反しそうですし、精神科医に人生の大問題を決めて欲しくないとも思います。なかなか悩ましいですね。というわけで、手術を外すのであれば代わりにどのような基準を設けるのかについては、更なる検討が必要でしょう。
5.性別の再変更の可能性の検討が必要
手術要件を撤廃すると、変更へのハードルはが大きく下がることになります。逆に言えば安易に性別変更を行う人が出てくるということです。現行の特例法では再変更は全く考慮されていませんが、手術要件を撤廃するとなると考えておかなければならなくなります。
もちろん自由に変更できて良いでは無いかという考えもあるでしょう。が、性別というものを、その時々の都合でそんなに変えて良いものなのか、疑問が残ります。
結論的には
以上、性別変更の要件から手術要件を外した場合に起きる問題を考えてみました。この他にもあるかもしれませんが、もしあればTwitterかメールでお知らせいただければありがたいです。
結論的には、現時点で手術要件を外すということについては議論が不足しており時期尚早と考えます。
少なくとも、当事者のニーズがどれくらいあるのか、実際に外した場合影響を受ける(特に女性)側の受け入れは可能なのかなどの調査が必要でしょう。また、上記4で書いたような要件をどうするのかという検討も必要です。
GID学会には単に手術要件撤廃という決議を行うだけではなく、まずはこうしたアカデミックなエビデンスを揃えていただきたいものです。要件についても試案くらいは提示すべきべきでしょう。
また、手術要件撤廃を訴えている人は、国に対してその要望を行う前に、世間に対して男性器がついていても女性、子どもが産めても男性なのだということについて、理解と支持をとりつけるべきではないでしょうか。
特例法ができて15年、保守系の方にもこの制度は既存の秩序を揺るがすものではないし、性別変更を行っても問題は起こらないと言うことで支持を得てきたと思っています。実際8000名近い人が性別の取扱いを変更していますが、それによって大きな問題が起きたという話は聞いていませんし、これにまつわる事件も発生していません。
しかし、手術要件をはずすとなると話は別です。下手をするとバックラッシュが起きることもあり得ます。そんなことになってしまうと本来手術を必要とする当事者にも、埋没して生きたい当事者にも悪影響が起きかねません。
手術要件を削除することが本当に私たちにとって良いことなのか、当事者自身、もっと考える必要がありそうです。